ゲルとか、ウマとか、こちょんとか

青年海外協力隊体育隊員です。二年間モンゴルで生活します。

2年間ではないけど総振り返り!

いまさらながらのお話になりますが
先月7月17日をもちまして青年海外協力隊としての任期を終えました。
思えば、3月中頃には帰国し4ヶ月は日本での待機で最後を終え、加えてワタシは昨年冬に3ヶ月ほどの療養一時帰国を挟んでいるので
実質的にモンゴルにいたのは1年半ほどでした。

もう日本に戻ってきてから5ヶ月ほど経って
そりゃ20年以上住んでたところに馴染むのなんてほんまに一瞬でたまにワタシはモンゴルにいたんだろうかとなります(笑)
写真見たら居たんやってなるけど、なんかすごく遠い昔のようで夢だったみたいなそんな不思議な感じ。

というわけでいったんざっと気持ちを振り返ってみようと

海外で体育を教えるっていうのは高校生のときに持った夢で
70日間の派遣前訓練はホントに個性豊かでアツくてたのしいたくさんの同期隊員に出会って
希望した国とはちがったけど大きな期待とワクワクを持ってはじめてモンゴルに降り立ちました。

任地はモンゴルの東の端のチョイバルサン、ゆきさんもとさんと3人で行きました。
なにもないがある暮らしやすいチョイバルサン生活のスタート。

学校にはもともと特支のボランティアが入っていたけど体育のボランティアとしては初代。任地の中でも体育のボランティアははじめて。
やることしかないんやろうな〜!とはじめは登校していました。
けどフタを開けてみると問題がないわけじゃないのに特に必要とされてる感じがまったくなくて求められているのか?感。
やりたいことあったらなんでも自由にしてもいいよのスタンスだったので
とりあえず見つけた課題に取り組もうと提案してみるもののあんまり協力的ではない感じ。
それはそれはホントにガクーーーンと気持ちが落ちた、、
まわりのゆきさんもとさんは2代目だったり日本での教員経験もしっかりあって活動も順調で
ワタシだけすごく取り残されてる感。
けど二人とも優しいからいっつも話を聞いてくれました。まじでよく泣いたなーこの二人の前では(笑)(笑)

学校行くのほんまに億劫やったし
カウンターパートの顔なんてもはや見たくないみたいな感じで避けちゃってたこともあったしで冷戦でしたね。
このときに守衛のおっちゃんに田舎に連れてってもらったときの壮大な景色は、すごくすごくキレイで心がホントに救われた!なんか一生忘れない気がする。

そんな荒ぶってる時期にちょうど指をケガして様子見てたわけやけど、一時帰国が決定。
活動うまくいってない時期で投げ出しちゃうみたいな感じになるのがすごく嫌やったけど
いったん離れてリフレッシュしておいでと言ってもらえたことで心が軽くなりました。

日本ではリハビリの合間に
友だちに会ったりリフレッシュしながら図書館などで教材研究をして資料を作ったり、新しくキッズコーディネーショントレーナーの資格をとってみました。

意外にも長くかかって戻ったのは3ヶ月後、モンゴルの学校は学年最後の4学期になっていました。あとチョイバルサンに3人の仲間が増えました。
帰る前の関係がよいものではなかったから戻るの少し怖い部分があったけど
びっくりするほどウェルカムだったし、なんなら本音でいったん話すことができました。
この4学期の最後には詰め込みで駆け足で仕上げて同任地のボランティアの協力もあり
ぜったいにやりたいと思っていた運動会を行いました!子どもたちの活き活きした顔がたまりませんでした。

3ヶ月ほどの夏休みがあって、2年目のはじまり〜
1年めさいごの方は協力的な雰囲気も得られたけどまだまだワタシ主導すぎる、関心が薄すぎると思い、テーマとしては「巻き込む」
先生たちに自分たちでもできるだ!と思えるための成功体験が必要だなと感じていました。

1人ずつとペアを組み、学年と教材を設定し
授業を考えうまくいかなかったところを話し合い改善してもう一度。いい感じのPDCAサイクルだったんじゃないかな〜と思うし
先生たちが工夫した授業子どもたちとても生き生きとやっていた!!

あとは任地で巡回型のセミナーしたり、首都の教育大学校でセミナーさせてもらったりと
ワタシが大事にしたい体育教育の考え方を伝える機会をたくさんもらえました。

任地のちがう学校の先生からも一緒にやろうと声がかかったり、
同僚の一人が自ら研究授業をしたいと言ってきてくれたり、
運動会の企画から同僚たちと考え始めたりと
ノリにのってきたときにまさかの帰国はすごく悔しいものがありました。

それでも日本からでもできることはあると
残したい資料を同僚とともに作り上げたり
JICAモンゴルのFacebookでお家時間でできるトレーニングなどを紹介しました。

ホントにカウンターパートとは何度も何度もケンカしたし、その度泣いたし、信じては裏切られみたいなこともたくさんあったけど、
たぶんワタシが理想を持ち込みすぎたのもあって、モンゴルや先生たちの事情を汲み込めてないところもあって、そこを知っていくとこちらが譲らなければいけないこともたくさんあって、
そういうのがわかってきてからは、思ってること溜め込まずお互い何度もぶつけあってからは
すごく活動がうまくいったな〜と思いました。
ほんまに諦めずにぶつかっていってよかったな〜と。
大嫌いと思っていたカウンターパートとお別れのときにカウンターパートに挨拶をされたときだけ涙が出たことはなんかすごく嬉しかった。
心の底ではこの人を信頼してたんかな〜って。


同僚5人中ワタシの思いが伝わったかなと思うのは3.5人。
けど体育以外の先生や他校の先生にも支持してくれる人はたくさんいて
なによりも子どもたちが「たのしい!!もっとやりたい!!」と笑顔で授業をしてくれことが成果かなと思います。
改めて体育を通して子どもたちに関わっていくことがすきなこと、「できた」「わかった」ときの子どもたちの笑顔がサイコーに自分のモチベーションであることを実感しました。

協力隊員としての2年間いろいろなことがあって
いろいろな経験をして、自分こんな感情になるんやって思うこともたくさんあって、、、
一言で片付ければたくましく、心のキャパが広がったと思う!
辛いこと腹が立つことも数えられないけど
終わってみてから思い出すのはたのしかったことばっかりで
ワタシはモンゴルで活動して、チョイバルサンに住んで、たくさんの人と関わって幸せだったな〜好きだったな〜と思います。

2年の中でうまくいかない時期、活動そもそもできていない時期っていうのもあったけど
自分が置かれた状況でできる最善のことにはすべて取り組んだつもり!やから後悔は一切ない!
これからモンゴルの体育が発展していくことをあとは切に願います。


同期の11人、モンゴル以外の世界中の同期隊員、個性豊かなチョイバル組、モンゴル隊員、事務所の人たち、日本の家族、友人。
ほんまにほんまにたくさんの人たちに支えられて励まされて過ごした2年間でもありました。
ステキな人たちが周りにいるありがたみを実感しました。

今後もまだまだ落ち着かない人生な気がしますが、
この2年間の経験も糧に自分の信じる道を突き進んでいこうと思います。
その分きっと周りに迷惑もかけるけど、ぜったいにいつか恩返ししていきたいです!

浦田まだまだ成長します!!!

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