ゲルとか、ウマとか、こちょんとか

青年海外協力隊体育隊員です。二年間モンゴルで生活します。

ワタシがモンゴルに来た理由

はじめまして、ウラタユリコです。

だいたいの人はワタシのことを”こちょん”と呼びます。このあだ名についてはモンゴルとまーーーったく関係ないので説明を省略させてもらいます(笑)

大阪で生まれ24年間大阪で育ったワタシは今、大学を卒業して社会に出る経験もないまま

ここ、モンゴルにいます。

 

なぜ青年海外協力隊の道を選んだのか。

その始まりは高校生の時でした。

ワタシは中学生の時に将来は体育教師になろうと決めました。

高校生のある日、なにかのテレビ番組で途上国で現地の学校の先生をしている日本人を目にしました。

それからというもののワタシの中で「自分も途上国の子どものために働いてみたい!」という思いが生まれました。

日本人の子どもよりももしかすると能力は高いかもしれない。そんな子どもたちが体育を教わる機会がなかったり、たくさんのおもしろいスポーツを知らないのはもったいない!と思い、能力を伸ばしてあげたいな、いろいろなスポーツをする機会を与えたいなと

発展途上国の子どもたちに体育を教えたい!」と夢見るようになりました。

 

その後、体育の教員免許の取れる大学に進学し、並行して小学校の教員免許もとる選択をしました。

しかしずっと持ち合わせていた「途上国で体育を教える夢」はことあるごとにいろいろな人に話していたりしました。

そんななか、1人の友達が「青年海外協力隊って知ってる?」と言ってくれたのがきっかけで協力隊の存在を知り、調べるようになりました。

説明会に行くと「いってみたい!」という気持ちしか高まりませんでした。そこでワタシは母に協力隊に行きたいという思いを伝えました。

その時点で小学校免許を取るために大学在学を1年延ばすことが決まっていたワタシに母は「そろそろちゃんと働いて」と言いました。大学に5年行くというものワタシのわがままであったためその時は引き下がりました。

 

その後ワタシは、スタディツアーでカンボジアの子どもたちにほんの数日ではありますが体育を教える活動を行いました。

言葉なんて全然覚えていってないからただただ走り回って捕まえて回して肩車してっていう感じだったけど子どもたちが笑顔で遊ぶ姿がキラッキラしてて、

お別れの時に涙ぐんでたらたくさんの子どもたちが集まってきてくれたりして、帰りのバスから見たたくさんの子どもたちが手を振ってくれた姿は今でも忘れていません。

この経験でやっぱりワタシが今やりたいことはこれなんだとさらに強く思うようになったと同時に

言葉がわからない状態では伝えられないことがほんとに多くてもどかしくて、ちゃんと現地の言葉を学んでいったらもっともっとやれることがあるという思いに駆られました。

 

カンボジアから帰国しもう一度母に「やっぱり協力隊に行きたい」と伝えると「あんたの好きにしたらいい」という言葉が返ってきました。父にははじめ「教採から逃げてるんちゃうんか」と言われましたが、教員採用試験も並行して受験し、両方落ちた時のこともきちんと考えているという旨を伝えると納得してくれました。

けっきょくワタシが決めたことはいつだって最後には応援してくれるそんな両親でワタシはすごくうれしいです。

 

 

正直言ってモンゴルは第3候補にさえも入っていませんでした。

行きたかったのは東南アジアやアフリカといったTHE途上国的な国でなおかつ海のある国

ただ協力隊に行くことは許してくれたものの父はアフリカだけはやめてほしいと言っていました。だから面接の際に希望以外の国でも大丈夫か聞かれた際に正直に答えました。

 

モンゴルに来て3ヵ月、正直アフリカ系の隊員のSNSをみるとやっぱりいいなと思うこともあります。

けど大草原に感動したり、日本の子どもとあまり変わらない子どもたちの笑顔に癒されたりしてモンゴルへの愛を深めていっている毎日です。

 

 

夢が叶わないのは途中で諦めた時だけ。

夢はいろんな人に話すと必ず叶えるヒントを持つ人に出会える。

 

ホントにそうだな、と、途上国で体育を教えるスタートラインをきった今思います。

でも叶ったら終わりじゃなくて、叶ったら次の夢をたてるもの。

ワタシの今の夢はモンゴルの子どもたちに体育を通して運動能力だけでなく人として成長してもらうこと。それに大人たちも巻き込んでいくこと。

なかなかいまのところ難しそうだけど、夢が叶わないのは諦めた時だけ。

 

まだまだ諦めない!!

 

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カンボジアの子どもたちともまた会いたいなー!